新たなる旅立ち(弘法大師と共に)

 終身雇用で定年を迎えるなど大きな節目転機の時、多くの人は過去を振り返り清算する。かぜおいびとも人並みにその時を迎え振り返ることがなかった過去を振り返った。金銭面では長くかけてきた失業保険の一時金を メンタル面ではどこで何をするべきか長い間の仕事から解放された時間の中でじっくりと考えることができる。どれほど多くのものを犠牲にしただろう? どれほど人に迷惑をかけてきただろうか? 雀の涙ほどの給料で大した仕事もしていないのに仕事、仕事と仕事最優先で自分勝手に振舞い。恩師をはじめ。先輩諸氏、そして、支援していただいた数多くの友人、知人、最愛の家族にすら何ひとつ感動的な想い、ご恩返しすることなく、期待を裏切り続けて終わってしまったかぜおいびとの愚かな第一章。親不孝、子不幸に孫不幸、一体何のために働いてきたのだろう、悔やんでも悔やみきれない、何度も何度もチャンスを貰いながら気付いていない。どしようもない愚か者。振り返るのが遅すぎた、今となってはどうすることもできない、それにもう逆転する時間も気力もない。65歳から天下人となった覇王と呼ばれた徳川将軍もいるにはいたが過去の積み重ねの結果であり、65歳からのリスタートではない。65歳に至るまでの実績と信用信頼が多くの人々の共感を呼び大きく花開いたに相違ない。明日は未来は自ら描き自ら歩むことができ夢を手にすることができるが通り過ぎた過去はどうすることもできない、人間の力では過去を書き換える事もできない、人の力の及ばないものは神頼み・・・神に頼るしか道はない。そして、かぜおいびとにとって唯一の神は、かつての元総理・菅直人もお参りしていた四国八十八ヶ所お遍路さん、祖父が祖母が母が家族の健康と幸せを願って参拝した道、四国八十八ヶ所お遍路さんを弘法大師空海と共に歩むしかないと思い立って平成30年6月スタート、父が母が祖父が祖母が脳裏に蘇り1年がかりで令和元年5月に四国八十八ヶ所結願、同年6月に高野山に御礼参りをしました。このお遍路さんは歩き遍路、自転車遍路、バイク遍路、マイカー遍路、或いは、タクシー遍路等、色々な方法手段がありますが1年かけて八十八ヶ所をお参りするバスツアーがお勧めです。京阪神からの出発だと毎回淡路島を経由するデメリットはあっても、毎月お参り、旅行できる楽しみは10泊11日等で一気に巡るコースでは味わうことができないわくわく感など3つの大きな楽しみががあります。

1、毎月何回か募集され最小催行人員に達しない場合は日程変更を余儀されなくなるため新し出会いもあり相部屋を希望すればより多くの人とゆっくり語り合い知り合う事ができる。(スタート月がいろいろと準備されて同じコ-スが月遅れ、2ヶ月遅れ、数ヶ月遅れもあり誰でも参加できるよ。)

2、参加者だけでなく添乗員も兼ねた同行の先達さんも様々な経験、経歴があって、道中を楽しむことができる。(この先達さんはお寺の歴史だけではなく、バスの駐車場からお寺までの距離、所要時間からトイレの位置に至るまで親切丁寧に教えてくれますがなかには関西で住職をされている僧侶の人もいるよ。)

3、帰りのバスでは先達さんが次回お参りのお寺の案内、見どころも紹介してくれるので持って行った方がいいものとかが準備できるよ。(次回に余裕を持って写経等もできるよ。)

◎ この四国八十八ヶ所お遍路さんの他に別格二十霊場もありますが 私は1番札所から順次88番札所を目指してお参りする毎月コースを選択実行しましたので、次は、4年に1度、閏年にだけお参りできる88番札所から1番札所を目指す10泊11日等の逆打ちコースを予定しています。そして仕上げに、もう一度、お参りしたいお寺と別格二十霊場をマイカーで自由にお参りしたいと思っています。

  

 

 

 

生活習慣を劇的にチェンジする ! マイカー

 今までに数多くのものを購入所有してきたが 所有することによってそれまでの生活習慣を劇的にチェンジしたものがマイカーである。大阪市内の駅前に住み交通の便も何不自由なく車などは必要ないと思っていましたが実際に所有してみると五つの大きな変化を私にもたらした。

1、電車、バスのような始発・終電がなく 時間の観念が変わる。

           24時間いつでも行動開始できることが最大のメリットである。

2、目的地がどこであってもピンポイントの目的地まで行くことができる。

   公共の目を気にすることなく目的地まで行くことができるので、

   着替える必要がなく着の身、着のままで気軽に出発できる。

3、目的地まで、一度に人・物を運ぶことができる。

   人も物も定員、許容重量までの範囲なら分散することなく、一度に移動する

   ことができる。その上、人については、動くリビングで心地よく座ったまま

   会食も制限なく移動できる。

4、移動中に何かを発見した時は、思いのまま、立ち寄ることができる。

   電車、バスにない自由さがあり回り道も新たな発見を見出すことができる。

5、いつでもどこでも他人に遠慮することなく会うことができる。

   誰かに会いたいと思ったときに時間も場所も気にすることなく誰とでも

   すぐ会うことができる。

 マイカーを実際に購入・所有するまでこの便利さがわからなかった。

それまでの生活習慣が一変して、スナック等、ネオン街への寄り道がなくなり まずは

愛車と、愛車を起点として、物事を考え行動するようになった。       

            

かぜおいびとの第一歩 !

人間の一生、生きざま、生き方は、千差万別、選択肢も多様にあり、政財界、芸能界、スポーツ界、それこそ、人生いろいろ、人さまざま、生命を受けて、一生を終えるまでの間の中年、或いは晩年になって大きく変わることもあるが 多くの人は20代で決まる。義務教育を終え、高校を卒業し、大学に進学か或いは就職し独り立ちして自分自身を知って、その先を模索しながら目標を定めスタートを切る。街を歩けば、眩いばかりのブランド店に輝く高級車、ネオン街が呼びかける。「俺の前にいるおいお前、俺を手にしたいと思わないか?」。選ばれたほんの一握りの人々、人生の成功者と呼ばれる人間だけが手にすることができる、ブランド品、高級車たちは平然とつぶやく、「俺たちを持て、俺を持つに相応しい人になれ、」俺たちはそんな大物を待っている。そんな大物だけにひれ伏す。当たり前のことだが並大抵の普通の庶民、サラリーマン、大衆では俺たちを手にすることは出来ない、持てない、だからこそ誰もが持ちたい、所有したいと欲望を抱く、憧れのブランド品が呼びかける。「いつまでもそんな処を歩いている場合ではない。時間は待ってくれない、情け容赦なく過ぎていく」。夢で終わるか?   夢を実現するか?「人間50年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり」、歴史上の人物、信長の愛誦した幸若舞にうたわれた人間50年の定年も今の時代の寿命は、30年程度延びて80年位はあるが実働はほぼ50年程度で考えなければならない。この気の遠くなるような80年も終わってみれば「アッ」という間、僅か80年に過ぎない。この80年に自らの一生を賭けて、自らの手で所有して、所有するに相応しい人間にならなければならない。人間性のない所有しただけの単なる成金であってはならない。マナーも教養も人格も含めた中身も問われる。持つに相応しい人間でなければならない。歴史を変えた信長、天下人となった秀吉、そして、覇王まで昇りつめた家康、この勝者の美学は歴史が語っている。迷わず、ひるまず、夢に向かって、その第一歩を踏み出そう!

 

風老人の日常

「うん・」・・ここは、目覚めと同時に眠気眼の目を見開き「ここは、・・・どこだ。」 誰に言うでもなくつぶやき立ち上がり夜明け前の空を見た。雨が降っていない、洗顔して出掛ける準備にかかる。ポロシャツにジーンズ、ランニングシューズで玄関を出てドアーに鍵をかける。雨の日以外の散歩コースにスタートした。かぜおいびとの至福のひと時である。半世紀前に開発されたニュータウンも今では老人の街、大都市の中心部から離れてバスを使用しなければならない地は、開拓精神旺盛な初代は自らの希望と野心に任せ駅から遠く多少交通の便が悪くても希望の地として選択するが そこに生まれ育った二代目はそのいきさつ初代の思いを知らず、その地の機能のみを重要視するから与えられたその地にはほとんど住みつかない。だがその地を選択しそこに住み尽き例え次の世代子息から見捨てられようともそこに残された開拓者にとっては安住の地であることに変わりはない。

人工的に作られたニュータウンのウォーキングコースに名もない野草と小さな虫たちが奏でる音と光のシンフォニーに野鳥が共演した見慣れた風景の中を行き交う人々に思いをはせ、感傷を呼び覚まし今を振り返ると脳裏をよぎる思いがふっと浮かぶ。この世には、光と影、表と裏、陰と陽、右と左、合い相反して対象をなす万物がある。人もまた究極的には魅せる人と魅せられる人のいづれかでありその中間はない。どちらかを自ら選択し歩まなければならない。魅せる人は主役となって人々を魅了する。主役は主役であるがために日々努力しなければならない。継続した努力を怠った時、主役の座を失い魅せる人から魅せられる人へと転化する。魅せられる人は、自分自身が出来ない不可能なことを魅せる人に置き換え、その感情まで移入して魅せる人になりきって自己満足する。従って、魅せる人は常にトップを目指し自己研鑽し続けなければならない。家に一人で閉じこもっていては何もできない。人を求めて表に出よう。表に出れば地域会館もあれば文化会館、デパートに図書館、体育館や博物館もある。どこでもいい飛びこんでみれば道は必ずある、必ず開ける。老弱男女を問わず、快適に人と接することができる。

 

 

 

 

かぜおいびとのレクイエム !

かぜおいびと(風老人)・・・昭和29年生まれの68歳、主に昭和で活動し、平成でかすかに花開き、令和ではもうしぼんだ「かぜおいびと」、そんな三世代に生きてきた冴えない男の回想録である。大谷翔平、村上宗隆、錦織圭大坂なおみ、渋野日向子、山口茜、そして、藤井聡太、仲邑菫、藤田怜央、スポーツ界だけに限らす、将棋、囲碁の文化に至るまで、今の時代にスター、天才と言われているのは、平成生まれが主役である。かぜおいびとが少年の頃よく耳にした「明治は遠くになりにけり。」も現代では、「昭和は遠くになりにけり。」王も長島もイチロー谷川浩司羽生善治ももう既に過去の人、平成生まれにとって変わられている。偉大なレジェンド、先人たちを越えた平成生まれの天才児、スーパースター達、それに引き換え昭和にこの世に生を受け もの心つき自分を知り、幼年期、少年期を過ごし成人、就職、結婚、子育て、我を忘れて働くうちに40歳が50歳になりいつの間にか定年、会社から解放されしがらみがなくなった、かぜおいびとはふと思った。日々、毎日毎日、その日その日を夢に向かって精一杯生き、ベストを尽くして歩んできた人生も 過ぎてしまえば「アッ」という間、一体、俺は何をしていたのだろう?  何を生きてきたのだろう? 過去が走馬灯のように脳裏を走りその時々の場面が蘇る・・・。大事な節目、節目の分水嶺の選択に誤りがあったとしか思えない。その行動と結果が今に至っている・・・。退職後に得た有り余る時間の中で振り返った過去があまりにも寂しく何もない惨めな己を知った。あのポイント、ポイントで祖父母、父母の言うとおりの道をこつこつ、こつこつ地道に歩むべきだった。あのポイントに帰りたい。もう一度やり直したい。しかし 時間とは無慈悲なもの過ぎ去りし時間は人間の力ではどうすることもできない。未来、明日は自分で切り開き夢を描き、その夢に向かって邁進することは出来ても 過去はどうすることもできない。過去には勝てない。過去の重い荷物は自分で背負って歩むしか道はない。その想いが突然、弘法大師、お遍路をどこからともなく覚醒した。真に「ふっ」とどこからともなく脳裏に浮かび、平成29年、弘法大師空海に救いを求めて、「同行二人」四国遍路の旅に出た。親不孝、子不幸、孫不幸、友人不幸、先祖から親から受けた愛情に応えていないばかりか周りに次の世代に何ひとつ遺していない己の愚かさ情けなさをこの道中で思い知った。先祖から祖父母から両親から愛情一杯に育てられ数多くのものを引き継ぎながら次の世代に何ひとつ引き継ぐものがない愚かな一生。松明はバトンは次の世代に引き継いでこそ、生まれてきた価値がある。歩んできた人生がある。勝手に自分自身に都合のいい想い違いし有頂天となり自分を見失い、自己満足した己の姿は、「平家にあらざれば人にあらず」「源氏となって栄えんより平家として美しく滅びんかな。」に始まって、{平家は滅んだ。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。・・・この平家物語の滅びの美学への憧憬、悪影響が作用したとしか考えられない。} そして、令和元年5月、四国八十八ヶ寺結願、同年6月、高野山に満願御礼参りを済ませ弘法大師空海との旅の第一章を終えました。